2024年もあとひと月になりました。振り返ると本当に節目の年だったなと思います。そして新しいことにも(挑戦した、というと聞こえはいいけど)手を出してみたり。まわりに仕事として「翻訳」を手掛ける人が増えて話を聞くうちに翻訳って大変そうではあるけれどおもしろそうな作業だなと思えるようになってきた矢先に飛び込んできた話。タイミングと内容に「これは私がするべきだな…」とすんなり思えた。
翻訳って、留学経験があったり文章力があったり外国語に詳しい人がするものという前提がおそらくあるでしょう。私の場合、ここを超えないと引き受けられないわけで、なんといってもすごい自慢(?)は中学2年生頃から中学卒業まで私は英語の授業にまったく出席していない生徒だったということ。今、思えばそれが逆によかったのかも?と思えるが、ホロスコープにも現れているほど外国語にコンプレックスを抱く運命を背負っている。英語の先生に恵まれず、中1の時は先生の声が小さすぎて授業がほぼ聞こえず、その次の先生は封建的な考えが濃くて、その先生が教室に入って来る時には全員が座って気をつけの姿勢をとり黒板を見ている状態で居ろという謎の指示があり、それが受け入れ難かった私は教室の「後ろ」にもあった小さな黒板を見ていた(前の黒板とは言われていないもんね、)。つまり教室の中で一人後ろ向きに座っていたら「お前はアタマがおかしい」と言われ、それ以来、英語の時間になると毎回学校を抜け出して近くの公園で過ごしていたのです。懐かしいなぁ!今だったら、きっと何か病名をつけられていたでしょうね。というわけで、義務教育の英語がすっぽり抜けたまま成長した。
そんな私は大学に入っても英語を避けるようにフランス語を選択し、それさえも一回は単位を落とし(笑)(同じ大学で仏語を学び始めた友だちは今や不自由なくフランス語を操り、パリに住み始めてもう長い)うーん、なんて語学力に縁がないのだ。と思っていたけれど、大学卒業後は「一人でどこでも旅できる人」になりたいという思いがあり、それには最低限必要な言葉のやり取りができなくてはと friend のスペルさえも何か見ないと書けないという恐ろしい英語力のままイギリスに半年間一人で滞在するという暴挙に出たのでした。
忘れもしない1980年代も終わりに近い秋のことです。どんどん寒くなる季節なうえ、ほとんど曇り空が多いイギリスの海沿いの街(でも大好きだった)で、ホームステイをしながら語学学校に通う日々。日本を脱出できた解放感と、見るもの聞くもの食べるもの出会う人すべてが初めてという環境が楽しすぎた半年間。3ヶ月目にはイギリス国内を自由に旅できるようになり、半年後にはヨーロッパを巡りながら帰国しました。
結局、語学力はコミュニケーション力や他のものでカバーできる。それに赤ん坊は生まれた時には話せないけど、まわりの人の言うことを聞きながらやがて自分も少しずつ話すようになるわけで、そう考えたらテストとか成績とかどっちの黒板を見つめているか(笑)に関係なく、日常生活していく中で単語が増え、それを繋げてセンテンスが生まれ、人と交わることでニュアンスを覚えていく。海外に出たら言語力は赤ん坊から始めればいいじゃん!と開き直れたのです。
そして、その約20年後。今度はホメオパシーに興味を持ち、当時もネットでは叩かれていたけれど、ピンとくるものがあってそれを掘り下げたくて当時お世話になっていたホメオパスに勧められたのがイギリスの歴史あるスクール。ホメオパシーの祖であるハーネマンの子孫やチャールズ皇太子(当時)もスポンサーに名を連ねていて、基本オンラインで受けられるという。修了するまでに3年かかるし、レポートも確か18回、試験も3回。でもそれをクリアしたら英国か米国での開業資格が得られるという。それが2度目の暴挙です(笑)
こうして「アタマのおかし」かった赤ん坊は外国語と格闘しながら少しずつ言葉を覚えていき、情熱が通じたのか奇跡的に合格率21%の中に入ることができた。しかも成績優秀者として認定されたのだけど、しかしそれはネイティブの友人のサポートが大きく、その頃の私の脳みそは英語と日本語のシフトレバーが疲弊し切っていて、からだも壊したほどだった。正直、つくづく向いてないなぁという思いが今も残っている。
それなのに暴挙も3回目となると麻痺してくるのか、新しい体験へのワクワクの方が完全にうわまわっていた今回の翻訳仕事。途中で問題を感じた頃にはそのヒントを授けてくれる人や本に出遭う不思議さよ!宇宙のタイミングといってよいのか、とにかく魂が「おもしろそう」と感じたことには、頭であれこれ考えず足を踏み出してみるといいよ、という話です。世の中には失敗や他人の評価を気にする人が多すぎる。それは失敗ではなく過程でしかないというのに!
Clear Mind クリア マインド
Clears and calms the mind offering clarity of perception and reflection. Eases mental tension from the mid-brain. Think of the clarity of a pale and clear gemstone; the calm of a cool, cloudless, still winter’s night. A full moon reflected on a quiet lake. Listen to the stillness within.
心を浄化し落ち着きをもたらします。中脳の緊張が和らぎ、内なる感覚が研ぎ澄まされるのを感じるでしょう。淡く澄んだ宝石の透明感、雲ひとつない穏やかな冬の夜の静けさ。 “静まり返った湖に映る満月”を思い浮かべてください。内なる静寂に耳を傾けましょう。精神的休息が必要なとき、また心身をクリアにして何かに集中したいときにも適しています。
「Clear」という字のシルエットもクリアーとカリヤーの間のような発音の響きも本当にぴったりのエッセンスと思っていて、単語もそうやって感覚としてからだで覚えていくと自分に馴染んでくる。翻訳する傍にいつもあって作業に入る前の儀式のように使っていました。雑念が遠のいて、おかげで自然にゾーンに入っていけた気がします。Clearには何かを飛び越えた、成し遂げたという意味もある。過程が一段落したところ、片付いた、その境地。どちらも澄みわたった景色のなかに身を置いている感じですね。